王様の耳はパンのミミ

伊藤なむあひの小説とか創作に関するあれです

振り返りなんても

のをしてみる。書き始めてから今に至るまでの記録を、忘れちゃわないうちにここらへんで記録しておこうっていうのと、初めての人への自己紹介と、あとは…そう…宣伝だよ!!!!!

 

下の文章が長いので先にリンクを貼るという強行手段にでます…😇

2021年8月21日発売です!(なお20日現在でも一部書店さんでは店頭に並んでいる模様)

 

で、僕が小説を書こうと思った瞬間のことはめちゃ鮮明に覚えている。ので、書き残しておこうね。

大学四年生になり、観念して札幌の企業を選んで就活したけど何社か受けてみて無理めで、試しにというか、閃いて、パチョコン系の募集ってことで適当に受けた東京の会社に就職が決まった。

受かってから調べてみたら人材派遣(?)の会社で、まだそういうの知らなかったしよくわかんないまま北海道を脱出することになった。地元を離れるとき、母は泣いていたけど僕はニコニコしていたらしいと未だに両親に言われる。ごめんね。

上京の際、行きは当時お付き合いしていた人が青森に住んでいたので、電車で揺られて青森に行って少し会って、東京に向かった。本社が恵比寿にあるというので道も分からないままどうにか向かい、確かそのまま入社式みたいなことをやって挨拶をして、新しく住むことになる家に移動することになった。

会社の上司的な人も何故か一緒に来てくれて、恵比寿から新宿に向かってそこから小田急線に乗ったはずだ。何を話したのかはほとんど覚えてないけど、なんであんな家にしたのかと訊かれた気がする。土地勘がないからと向こうが挙げてくれたいくつか候補の中で一番安い家を選んだんだよ。

どうやら1ヶ月ほど恵比寿に通い研修し、適正に合わせて出向先が決められるらしく、相武台前という小さな駅から1時間以上もかけて毎日通勤するのかと不安になった。

なんか長くなってきちゃったからはしょるけど、その研修期間、休憩でトイレに行ったときに小さな窓からビルに囲まれた中庭のような場所が見えた。そこには誰もいなかったけど、僕の頭の中では老人が立っていた。薄暗いトイレの中で、僕は二つのことを理解した。

・ひとつは、彼はそこから出られないこと

・もうひとつは、これはそういう小説なんだということ

なんかドラマティックに書いてみたけど、先に出てきた、当時お付き合いしていた人というのが小説を書いていた。その人は京極夏彦を読んでいて、一度だけ読ませてもらったものはその影響を強く感じた。内容は覚えていないけど、文章はとても上手かったと記憶している。

だから(?)、プロじゃない人間も小説を書いていい、ということを僕は知っていた。それが1番の幸運だったんだろうなと今ならよく分かる。

まあその人との縁がなくてもいつか書いていたかもしれないし、その会社で研修を受けていなくてもそういう瞬間があったのかもしれない。僕の場合はたまたまそうやって繋がったっていうだけ。

書き方も分からないまま、どうにか『トロンプユイル』というホラー短編を書きあげた。絵の中に入ってしまう男の話。一人称でベタな話だった気がする。

それからも細々とホラーばかり書いていた。なにせ角川ホラー文庫ばかり読んでいたし、小林泰三の『酔歩する男』みたいのを書きたいと思っていた。読んだ人の価値観がぶっ壊れて直らなくなるようなものを書きたかった。

短編しか書けなかったし、特に公募に出したりどこかで発表したりすることもなく、それでも何年かかけて10作程度書いて、なんでか新宿の製本?印刷?屋さんで自分用の文庫本を20冊くらい刷った。『天国へと地獄』という本で、今も一冊だけ自分用にとってある。ちなまに、いまのTwitterのアイコンはその表紙の絵の一部だったりする。

教科書に載っていた安部公房を読み小説に興味を持った少年は、そうやって、大槻ケンヂ経由で江戸川乱歩に出会い、ミステリ繋がりで新本格をすっ飛ばしメフィストに衝撃を受け、佐藤友哉にインタビューをしていた高橋源一郎を介して文学を見るようになっていた。

それから、高橋源一郎に絶大な影響を受けたまま『白雪姫前夜』という小説を書いたところでそれが面白いのか分からなくなった。ので、メフィスト誌で見かけた文学フリマというイベントに立ち寄ってみた。秋葉原で、批評の島が強かった。

当時はSNSなんてやっていなかったから、自分以外に小説を書いている人がこんなにもいるのか!と衝撃を受けた。同人という文化がまだ生きていることを知り、自分もどこかに混ぜて欲しいと思い、入りたいと思うサークルを探した。これは東京流通センターだったかも?

中原昌也にインタビューしたという破滅派や、佐藤友哉を特集していたメルキド出版が気になった。表紙が垢抜けてるなと思った絶対移動中というサークルで、同人の新人賞をやっていることを知り例の小説を応募してみたら、大賞に選ばれ次号に載せてもらえることになった。

絶対移動(中)大賞という賞で、自分が書いたものが他人に読まれ、しかも読んだ人が講評を書いてくれるという。駅近くのバーミヤンでアルバイトの後(そういや仕事は1ヶ月で辞めた)、深夜まで粘って書いていた、あんなに狭かった世界が一気に広がった。

掲載される号は、初売りが文学フリマ大阪ということでのこのこと大阪まで行った。この辺でTwitterを始めたはず。日帰りで、帰り道は大阪から鈍行で山のように買った同人誌を読みながらお尻を痛くして帰宅したのがとても楽しかった記憶として残っている。もう30歳を過ぎていた。

『白雪姫前夜』への選評は何度も読み返したし、自分の書いたものを読んでくれ、感想まで書いてくれた人たちを中心にTwitterで交流するようになった。楽しくて仕方がなかった。それから何号か絶対移動中で書かせてもらい、やがて同サークルは解散になった。

次にどうしようかと考えた。単著を出したいという想いが強かった。これまで書いてきたものをまとめて短編集を出したかった。ただ、そのときの僕は色々あって文学フリマから少し気持ちが離れていたのと、文フリ以外の人にも読んで欲しいという気持ちが強くなっていた。

設定上の叔父である伊藤潤一郎と、設定上の義理の妹である弍杏(彼女はCrunci Magazineという小説投稿サイトで活動していた)を巻き込み隙間社という出版社を立ち上げ活動の中心を電子書籍、主にKindle Direct Publishingに移した。いわゆるセルパブだ。

これまで書いてきた短編をまとめた本を2冊出し、それからも短編を書きつつ少し長いものを書くようなっていった。電子書籍もたくさん出した。オルタニアという電子書籍の雑誌の創刊に加わったりもした。前は何を書いても5000字にしかならなかったのが、2万字書けるようになり、3万字書けるようになり、5万字書けるようになっていった。

そのあたりでいわゆる五大文芸誌の公募にも出してみたりしたが、一次通過すらすることはなかった。落ちた作品は自分のなかでは完全に文学だったが、確かに送った文芸誌に載っているものとは何かが違う気がした。

電子書籍での活動も続けつつ、BOOK SHORTなんかにも応募してみたりしていた。そうしているうちにブンゲイファイトクラブというイベントに出会った。出会ったというか、ぶつかったというか、とにかく、開催されたそれに応募し、本戦出場を果たしたものの一回選で敗れた。ここでも書く仲間ができた。

BFCは面白いものを書く人がたくさんいて、特に矢部崇さんや蕪木Q平さん、金子玲介さんの作品はぶっ飛んだ。あんまり文学とかジャンルとか考えなくてもいいんだ!ってなった。でも逆に、なんかよく分かんなくもなった。

公募に送るようになると、ジャンルに当てはめたものを書く癖がつく。それは当たり前で、相手が募集しているものにある程度寄り添うのは当然のことだ。それはそうとその頃、SFというジャンルが再び盛り上がっていくのを感じていた。

SFらしきものは実家にいた頃、他に読むものがなく両親の本棚にあったからという理由で読んでいた星新一ショートショートと、ホラー経由で接近した小林泰三くらいしか読んだことがなかった。あまり得意な印象はなかったし、なんならジャンルごとむしろ避けてすらいた。

かぐや SFコンテストというものが開催されると知った。どうやらブンゲイファイトクラブでジャッジを務めていた橋本輝幸さんが選考に関わるということで興味を持ち調べてみたら、主催のバゴプラさんの考え方や小説や小説家への考え方に共感できた。

さっそく応募してみることにした。2作まで応募できるというのでまず SFのことはいったん忘れ『未来の学校』というテーマに合わせて趣味全開で好きなものを描いた『ネコと和解せよ』、そして自分のなかでマックス SFっぽいものに挑戦しようと思って書いた『知る人』。

結果としては、最終候補には残らなかったものの後日発表された、審査員の印象に残った作品という選外佳作のなかにその2作共が残っていた。音声で公開されたかぐプラ総評みたいなものを聞きながら、その二作品の振れ幅についても触れてくれていて、うわー!ってなった。

そういえばこの辺のタイミングで、一度エンタメに全振りしたものを書いてみよう!と思い立ち12万字くらいの長編をどうにか書き終えメフィスト賞に送った。結果はもう全然で、読み返すと理由はよく分かった。書き終えたときは確かに傑作だと思ったんだけどね(こちらからお願いして読んでもらって、感想まで下さった方々に感謝…)。

そうして30代も後半になり、Twitterで(もうなんかきっかけがTwitterばっかりなんだけど、書くことの繋がりってほぼTwitterに全振りしてるので仕方がない)奇跡の復刊を遂げた『幻想と怪奇』誌がまさかの日本語の作品を募集していることを知った。プロアマ問わずだという。

書き始めたのは確か募集を見る前だった気がする。どこに応募するあてもない、好きなものだけを詰め込んだものを書いている途中だった。江戸川乱歩安部公房に浸っていた時代からずっと自分のなかにある奇想の塊みたいなもの。それを送ってみた。

 

もう4000字になっちゃったんだけど、そんな感じで、小説を書き始めて17,8年経って、不思議なことに自作が商業流通の本に掲載されることになった。ジャンルとか、食える食えないとか、そういうものは一旦置いておいて、長く書き続けているとこういうことがあるんだという気持ちと、ずっとズレ続けていたものがようやくハマったという気持ち。

長いこと読んで、書いてきた人間が読まなかったり書かなかったものも含めて、けっこうたくさん(健康に)生きてきて、たどり着いた作品です。そんな伊藤なむあひが描く幻想と怪奇『天使についての試論』、気になったらみんなも手に取ってみてね。以上!解散!

 

最後にもう一度リンクを。もちろん、書店で見かけたらそっと保護してもらえるととっても嬉しいです。

 

2021.08.20

伊藤なむあひ