王様の耳はパンのミミ

伊藤なむあひの小説とか創作に関するあれです

やっぱりというか

商業から出版されている小説とそうでない小説について考えることがあって、よくそうでない側から『商業小説はソフィストケートされ過ぎていてつまらない』的な意見を見かける。

 

けれどじゃあそうでない小説が必ずしも飛び抜けて他と違ったり新しいことに挑戦したりしているかというと決してそんなことはなくむしろその辺りの追求というのは商業、特に純文学と呼ばれている小説の方がよっぽど攻めている。

 

勘違いして欲しくないのはこれは商業から出ている小説/そうでない小説の二項対立なんかではなくてそのなかに含まれる小説の割合の話をしているということだ。

 

気を付けたいのは雑さ、甘さ、ぶん投げ、そのあたりを小説としての冒険や挑戦と履き違えないこと。もちろん次回も含むけど、そのあたりの意識にたまに具合が悪くなりそうになる。

 

商業から出版されている小説でないことに甘えてはいけない。そういう話。

 

あ、追記。読者としてはそういうのが好きな人もいて、自分もかなりそういうけいこうがあるのだけれどそれは読む側の意見であって書く側は最初からそこを拠り所にしちゃいけないよね。

 

星に(なって)願いを (隙間社電書)

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